2020年11月22日

長谷川家住宅と小津家住宅:松阪にある豪商の住まい

 長谷川家住宅と小津家住宅:松阪にある豪商の住まい



「長谷川家住宅」と「小津家住宅」は、三重県松阪市にある江戸時代に活躍した商人の住まいです。

江戸時代の早いころから、商才のある松阪商人が松阪の特産物の木綿を大消費地「江戸」へ持ち込んで膨大な利益を上げました。その結果、江戸時代の松阪にはその大商人の屋敷が数多く存在していました。


長谷川家住宅

著名な松阪商家の1つ、長谷川家の創業は1675年で、松阪商人の中では最も早く江戸へ進出した木綿問屋のひとつでした。最盛期には江戸で5店舗を経営、従業員は120人余だったとのことです。

彼らの商いのスタイルは、主人一族は松阪に住み、出店を江戸、大阪、京都において、従業員に店の経営をゆだねるやり方でした。具体的には松阪の農家の次男、三男の中から適性のありそうな子を選んで従業員に採用し、江戸、大阪、京都の店舗へ送り込みました。彼らがもし不正を働いたら、実家の一族がひどい目に合うぞというような抑止力になっていたようです。商いの重要な決定は主人が松阪から指示を出し、グループ商店として繁栄し続けました。




松阪に住む主人一族は、もうけを土地と屋敷につぎ込み、その住まいを年々拡大していきました。長谷川家の記録によれば、元は奥行の細長い商家だったものを、儲けるたびに土地を買い増していったようです。次々に増改築を続け、現在の広大な土地を有するようになったのです。

長谷川一族は、支配者である武士の御用を承り、地域社会でも重要な地位を築きました。また、膨大な資産を背景に、国文学、茶の湯、俳諧などのパトロンとなりました。

この屋敷は、松阪の街の中央部、行政の中心施設「勢州奉行所」のすぐ南にありました。江戸時代、この場所は松阪の街を通過する「伊勢街道」(伊勢神宮へ向かう当時の主要街道)の近くで、商家がこの地に集積していました。




現存する主屋は部屋数30余、重要な商品などを保管する蔵は5つ残っています。建設されたのは、1600年代後半から、1900年代初めにかけてで、長期間をかけて増改築を繰り返しています。その規模は、現存する江戸時代からの商家としてはベストテンに入る大きさで、国の重要文化財です。




明治時代に入ると廃止された奉行所の土地を買収して敷地を一挙に倍増させました。封建時代が終わりを迎えたころの長谷川家は、そういう恐ろしいまでの財力を有していたのです。元奉行所があった場所には、広い日本庭園と来客用の座敷と茶室があります。

数年前まで長谷川家住宅は非公開だったようですが、昨今の観光ブームで整備が行われ鑑賞できるようになったようです。主屋からいうと、見学できるところは限られますが、主屋は主人の居間や、貴賓を迎えるための表座敷などを見ることができます。5つの蔵の内、1つは小規模な展示施設になっていて見学することができますが、残りは未公開です。




日本庭園を望む来客用の座敷と茶室も非公開で、外観を見ることができるだけです。主屋の周りの小ぶりの庭園を通って拡張された敷地に入ることができます。主屋の庭園は、蔵や建物に囲まれた狭い空間で、つつましく商いに精を出したであろう当時をしのばせます。新しい日本庭園は不相応に広大です。

施設の概要

長谷川家住宅

開場時間 9:00~17:00
入場料 320円(大人1人):6~18歳は160円
休み 月曜日と年末年始


小津家住宅

長谷川家住宅が公開されるまでは、小津家住宅が「松阪商人の館」として先行して整備され公開されていました。小津家の扱い商品は特産品の木綿ではなく、紙問屋でしたが、江戸で大儲けして全国の豪商の番付上位の大商人でした。現存する主屋は1800年代初頭までのいつか分からない時に建設されました。敷地の規模は全盛期の三分の一ほどで、蔵も8つあったようですが、現存しているのは2つだけです。



現存する主屋は街道からはそれほど巨大に見えませんが、内部に入ると高い天井に圧倒されます。
また、店の奥には米を炊く釜がいくつも並んだ広い台所があります。この台所で炊いた米でお伊勢参りの旅人に無償の握り飯をつくって配ったとのことです。




施設の概要

小津家住宅

開場時間 9:00~17:00
入場料 160円(大人1人):6~18歳は80円
休み 月曜日と年末年始



 

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