2020年11月15日

越前大野城:北陸にある天空の城

 越前大野城:北陸にある天空の城



「越前大野城」は福井県大野市にある城址公園です。

この城は、11月ごろのある条件下で、霧の中に天守のあるエリアだけが浮き出て見える天空の城として有名です。天空の城と呼ばれているので、山城ではないかと思っていましたが、城郭の分類でいえば平山城です。城の前には城下町がつくられ、現在の大野市の中核をなしています。

この城は金森長近という武将が1575年ごろに築城を始めた城です。同じころに織田信長の安土城がつくられています。長近は信長の家臣でしたから、この城は安土城のアイデアを踏襲したのではないでしょうか。

信長のつくった安土城はそれまで主流だった山城スタイルを、平山城スタイルに変革しました。信長のつくった城ですら、安土城より前の岐阜城や小牧城では、山城スタイルの城でした。しかし、たぶん山城に逃げ込むような戦い方では、大軍で攻め込む敵に対しては無力であることを悟ったのだと思います。城の中心部は丘の頂点に設けるにしても、周囲を堀と石垣で囲んで、万が一の時にはその中に大軍が籠城できる平山城という空間をつくり出したのでした。




この越前大野城の城づくりはどうだったのでしょうか。

城山に囲まれた東向きの平地に御殿のある二ノ丸が配置され、それを囲んで三ノ丸、さらに外曲輪が取り囲んでいました。したがって、中心の御殿は三重にガードされ、後ろ側は堅固な城山に守られていました。さらに三ノ丸と外曲輪の外周には塀と堀が存在していたようですが、この塀や堀を長近がつくったのかは不明です。



見方を変えると、この城は御殿の防衛に主眼を置いているともいえます。
御殿を厳重に防御し、それでも守り切れなかったら天守閣のある裏山へ移るという、山城の防御メソッドの延長とも取れそうです。


越前大野城の歴史

この城がこの地につくられたのは、この地を治めていた朝倉氏が、信長に滅ぼされた後、政治的な空白がもたらされたからでした。朝倉氏を滅ぼした信長が長近という家臣をこの地の支配者にすえたのかと思っていましたが、事情は少し違いました。信長は朝倉氏を滅ぼした後、その旧臣の多くを許し、彼らを家臣として召し抱えてこの地を統治させたのでした。




ところが、一年もしないうちに内紛で旧臣同士が戦い、お互いを殺しあった結果、あろうことか宗教勢力の支配する国と化してしまったのです。信長はその結果に怒り、改めて越前に侵攻し、朝倉氏の旧臣勢力と宗教勢力を壊滅させました。この2度目の侵攻作戦の時、長近は美濃から越前に向かい、越前と美濃の間の大野を侵略しました。そしてその功績を認められて大野の支配者となったのでした。

長近は、この地を約10年間支配したのち、次の権力者である豊臣秀吉の命令で飛騨の国へ移りました。そののち、多くの大名がこの地の支配者となりましたが、それ以降だれがどのような工事を行ったかというような話はほとんど記録されていません。その後この城は、越前の中心である福井城の周囲を守る城の一つとして、静かな脇役のまま明治時代を迎えたのでした。



この城が天空の城に変化するのは11月ごろの明け方から午前9時ごろで、大野の盆地に霧が発生するタイミングのみです。
オーロラを見に北欧の国を訪ねたとしても、オーロラに出会えるチャンスがほとんどないように、城の雲海に出会うチャンスも幻のようなものかもしれません。


施設の情報

越前大野城

開場時間 9:00~17:00 (10月・11月は、16:00まで)
入場料 200円(大人1人):中学生以下は無料
休み 12/1~3/31(冬の間は閉館です)



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