2020年9月13日

田峯城:武士の館を山頂に再現してしまったユニークな山城 

田峯城:武士の館を山頂に再現してしまったユニークな山城



「歴史の里 田峯(だみね)城」は、戦国時代の山城・田峯城があった場所に建てられた(言ってしまえば)博物館です。荒廃した山城を1994年に町が整備して、武士の館(博物館)を建設したのです。この館はこの山城に元々あった建物とはまったく違っていて、戦国時代末期の有名な大工の指南書に書かれていた有名な建物にそっくりでした。

戦国時代の山城という場所と、この武士の館はミスマッチなはずなのに、なぜかしっくりおさまっているのです。その理由は、歴史的には変なのですが、この館が本物のクオリティを持った建物に仕上がっているからだと思います。もっと有名になってもいい観光スポットだと思います。

この場所は、実際に山城があった場所ですから、歴史的な物語が潜んでいます。その歴史の話、このミスマッチな武士の館の話などをまとめてみました。




田峯城の現在の姿

この「歴史の里 田峯城」は、愛知県設楽(したら)町にあります。この城がある設楽町は、有名な戦国大名の武田氏の拠点があった諏訪から、京都へ向かうルート上にあります。武田氏といえば、信玄が有名ですが、その息子・勝頼も京都を目指し、行く手に支配地を持つ織田信長・徳川家康連合軍と交戦しました。これが有名な「長篠の戦」ですが、田峯城もこの戦いに登場します。ただ、とてもマイナーな登場の仕方でしたから、よほど歴史に興味がある方でないと、気づかないかもしれません。

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「匠明」に書かれた武士の館

今度は、武士の館にまつわる情報に触れたいと思います。この建物の設計図が書かれていた「匠明(しょうめい)」というのは、戦国末期に活躍した大工集団の棟梁の秘伝書でした。その「匠明」に書かれている武士の館の平面図は、施主のどんな要求にも応用できる万能平面図でした。

さて、田峯城の本丸にある資料館は、その「匠明」の武士の館がそっくりそのまま再現されているので、実に美しい建物になっています。しかし一方で強い違和感を感ぜざるをえません。山城の本丸にそんな平面図を持った館が存在するわけがないからです。

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山城としての価値

最近はお城ブームで、山城も注目されていると思います。山城の多くは整備が不十分で、十分注意してから目指さないと危険な目に合うこともありそうです。その意味では、十分整備されたこの田峯城は、アプローチが容易です。

この城は切り立った山を削って平地をつくり、いくつかの平地を束ねて城域としています。盆地側はそれほど切り立っていないので、土塁と、空堀で囲み、その上に柵を設けて敵の侵入を防いだのでしょう。

城の反対面の急な坂の下には山沿いに作手街道があり、それを見下ろす位置にこの城はあります。街道を移動する敵なら上空から圧倒的優位に攻撃できるのでしょう。ただし見学する上では、この方面は急な崖になっていて、山城探検に慣れていないと危険な感じです。

前半部分で、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼の戦いのマイナーな部分に田峯城が登場すると書きました。その話に興味がありましたらここをクリックしてください。


施設の情報

歴史の里 田峯城

入城料 大人:220円、子供(小・中学生):110円

休城日 毎週月曜日・祝日の翌日・年末年始(12/29~1/3)



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