2021年1月6日

金沢城に関する追加情報

 金沢城に関する追加情報

師団司令部

金沢城は戦国時代の長い間、この地域を実効支配していた宗教団体が支配する要害でした。その要害が攻略されたのち、その場所が城として再整備されました。その後、前田氏が現在の形に整備したのですが、すぐに江戸時代が到来しました。したがって、この城は、戦国時代の城というよりは、江戸時代の城といっていいでしょう。

明治維新の後の金沢城は、軍事施設として用いられました。陸軍は1893年に師団の司令部を城内に設けました。最外周部の昔ながらの石垣は大方残されたままでしたが、内部の堀は埋め立てられ、歴史的建造物は取り壊されました。そのため、内郭のレイアウトは著しく改変されてしまいました。

第二次大戦が終わると、陸軍は完全に解体され、改変の状況が分かる資料の多くは失われました。主を失った金沢城は、金沢大学のキャンパスとして利用されました。陸軍時代の建造物が大学の教室に転用されたようです。

そして1995年になって、金沢大学が移転すると、再整備されるチャンスやってきました。そうはいっても、無残に取り壊された内部を再現するのは至難の業でした。金沢城に現存する歴史的遺構は、石川門とその周辺の櫓と点在する小規模な建物だけでした。

現在は、2001年に再建された五十間長屋という巨大な櫓が新しい金沢城のシンボルとなっています。2010年と2015年にも堀や櫓を再建して、かつての姿に近づけようとしています。




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