臨春閣:池に持ち出して佇む武士の邸宅
臨春閣がある「三渓園」は神奈川県横浜市にある風景式庭園で、この庭園は、明治時代の実業家、原三渓がつくりあげたものです。その広大な敷地には17棟の歴史的建造物が、風景と調和する形で移築されています。
その中で、もっとも有名な建物が「臨春閣」という数寄屋造りの武家屋敷で、池を中心に3棟の建物が雁行状に配置されています。
この建物は、元々は大阪にあって、大阪の豪商が所有していました。歴史的に価値のある建物の保全に熱心な原三渓が、その建物を購入しこの地に移築したのでした。それが元々は誰の手で造られたのかは明らかになっていません。
今のところ、紀州藩の別荘をもらい受けた武家から豪商の手に渡ったということになっています。この建物には、豊臣秀吉が伏見につくった御殿の一部分だったという逸話もあります。そういう話が出てくるのは、元の所有者が大阪の豪商だったとはいえ、個人の力でつくり上げるにはあまりにも優美な建物だからだと思います。
三渓園が明治時代につくられた時には、一般に公開する目的の「外苑」と、庭の所有者が家族で楽しむための「内苑」に分かれていました。
そして臨春閣は内苑側に移築されています。いやむしろ、この臨春閣を演出するために内苑が設計されたと言えるほど風景にマッチしています。
現在は外苑と内苑のどちらも一般に公開されていますが、内苑の建築物はプライベートで使用されることも多いようです。訪問した時も一部分はお茶会の会場となっていて見学できませんでした。
内苑の入口には京都から移築してきた「御門」という大きな門があります。入ってすぐの場所は、路地のような空間で、足元は敷石が敷かれています。右手に茶室の白雲邸を見ながら路地を進んでいくと、臨春閣の入口が見えます。
左手の小道を進むと、臨春閣の前面に広がる大きな池越しに建物全体を見渡せる広場があります。そこから望む臨春閣はまさに大名の住まいといっても言い過ぎではない優雅さです。
この建物を特に優雅に見せているのは、建物のギリギリ際まで全面の池が迫っていて、池の上にはり出したようにつくられている点ではないでしょうか。建物が庭と一体化しているのです。
多くの研究者が大阪にあったころの建物と横浜へ移築されてからの建物との違いを研究しています。その研究によると、雁行した3つの建物の順番が、移築に際して入れ替えられているそうです。
現在建っている建物は、大阪時代には一番奥にあった部分を中心に持っていき、右手前だった部分を最も奥の左側へ配置し直しています。その際に、奥へ移動させた第3屋は180度回転させて裏だったところを表にもっていき、中央部と奥の第3屋との接合部は付加されています。
この建物は表側の優雅な美しさに比べて、裏側は実はそれほどでもありません。この建物と裏山との間は狭い路地になっていまが、この路地は、一番奥の第3屋と中央部分の第2屋の繋ぎ目のあたりまでは入っていけます。裏側から見ると臨春閣は普通の民家のようで、外壁は置き石の上にのっかっているだけです。こちら側を見る限り、武家屋敷だったという説は疑いたくなります。
この三渓園は臨春閣にだけ注目するのではなく、他の建物にも注目すべきです。広大な敷地にたった17棟の建物が景観にマッチして佇んでいます。その光景は何とも言えず心に感動を覚えます。
施設の概要
臨春閣
三渓園への入場料 700円(大人1人):200円(小・中学生1人)
休み 年末(12/29~31)
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