2020年9月18日

金沢城:本丸が立入禁止だった巨大な城

 金沢城:本丸が立入禁止だった巨大な城

再建された橋爪門(五十間長屋の一部)

「金沢城」は、石川県金沢市にある城址公園です。この城は、豊臣政権期から江戸時代を通して前田氏の居城でした。

訪れたとき、この城の中心部であるはずの本丸は閉鎖され立ち入り禁止でした。その理由は「この付近でイノシシが目撃されたので、安全のため立ち入りを禁止する」とのことでした。この城は、城の中心である本丸にたどりつけない唯一の城かもしれません。


再建された「五十間長屋」

この公園の中心は「五十間長屋」という再建された建物です。そして、この建物がこの公園の中心的な存在と言っていいでしょう。この建物は、二ノ丸御殿の東正面を守る櫓、長屋、門が複合した巨大な建築物でした。

そしてこの建物に守られた背面には、広大な二ノ丸曲輪があり、そのほとんどを占める広大な二ノ丸御殿があったのですが、現在は広い空き地でしかありません。


二ノ丸内部の空地

五十間長屋の奥はどうなっていたのでしょうか。

二ノ丸の広大な空地の先には「玉泉院丸庭園」という美しく整備された場所があります。綺麗に整備されているので城の主要なな建物があった場所なのかと考えてしまいましたが、元々は城の外周部でした。城内に閉じ込められるのを嫌った歴代城主の1人が、1630年ごろ「金谷御殿」という別荘をつくった場所なのです。


玉泉院丸庭園

現在のこの公園と城の境界ラインはあまりはっきりしていないので、元々どんな感じだったのか想像しづらくなっています。江戸時代にはこの辺りは切り立った崖になっていて、防衛のための建造物もそれほどなかったのだと思います。

二ノ丸の背面の崖地を登ると、現在はただの空き地ですが、かつては「本丸付段」と呼ばれる本丸を防衛するための場所があります。この城は、丘の一番高いところを本丸、それを守る本丸付段、その次に二ノ丸、その手前にさらにいくつかの曲輪というレイアウトでした。

この様な、何重にも防衛された城の中心部の本丸は、逆を言えば奥まっていて不便で、十分な広さがなく、平和な江戸時代にはあまり活用されなくなっていました。広大な二ノ丸にすき間なく二ノ丸御殿がつくられ、そこが江戸時代を通して城の中心部となりました。本丸の建物は江戸時代の初めに火災で焼失してしまい、幕府の顔色をうかがって天守の再建も行わなかったため、ほとんど利用されない場所になっていたようです。

本丸付段には「三十間長屋」という櫓(1853)が現存しています。


三十間長屋

それでは、二ノ丸の手前側はどうなっていたのでしょうか。

二ノ丸の手前には「鶴ノ丸」と呼ばれる場所があり、現在は休憩所があります。遺構としては「鶴丸倉庫」(1848)があります。立地的には、西側の丘の上にある本丸の足元の空間で、小規模な独立した曲輪だったのでしょう。

その手前の三ノ丸には、重要文化財「石川門」(1788)と、再建された「河北門」があります。河北門の先の広大なエリアの先に「大手門口」があります。石川門の先は現在は広い道を挟んで「兼六園」に通じています。


石川門

この城は、平地の中に独立した台地状の部分を城域とした「平山城」です。城に周囲はかつては堀に囲まれていましたが、多くは埋め立てられています。城域を囲む広い道は、かつては広い堀だったのですが、その痕跡は残っていません。外堀の一部分(いもり堀)が再現されています。

周辺地域は町の中心部分にもかかわらず、歴史的な建造物が比較的多く残っています。金沢城の歴史についてもう少し書いてみました。ここをクリックして見てください。


施設の情報

金沢城公園

金沢城「五十間長屋」のみ有料
開館時間 9:00~16:30
入館料 310円(大人1人):100円(小人1人)
年中無休



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