2021年1月6日

天龍寺に関する追加情報

天龍寺に関する追加情報

五山第一・南禅寺

室町幕府は国家事業としていくつもの寺院を建立しましたが、天龍寺は、そのスタートとなった記念碑的な寺院でした。

室町幕府の行った事業は、鎌倉幕府のやったことを踏襲したものでした。鎌倉幕府は中国から輸入された「禅宗」という新しいその思想に強く傾倒し、多くの寺院を建立しました。室町幕府もそれに倣ったのです。多くの禅宗寺院を建立し、その高僧を政治顧問の立場で待遇しました。天龍寺の創建を発案した夢窓疎石も、禅宗の高僧でした。

京都にある禅宗寺院というと、「京都五山」という格付けをすぐに思い浮かべます。この制度は、室町幕府がつくったのかと思っていましたが違っていたようです。「禅宗の歴史」という本の記述によりますと、京都五山を最初につくったのは後醍醐天皇だったようです。

五山制度についてももう少し確認してみます。

まず、「五山」というのは、元は中国の「南宋」で作り出された制度でした。「五山・十刹・諸山」という「官寺」の制度で、5つの五山が最高位で、次に10の十刹があり、その下が35の諸山という順位がありました。官が認めた公式の寺ですから、順位がついて下の方に位置しても、そうでない寺と比べれば格が違うという訳です。

それが日本に伝わって、同様の制度が取り入れられたのです。鎌倉五山は当時の文献にもその言葉が存在するので、正式な名称ではあるのですが、どの程度、制度として成立していたのかははっきりしないそうです。その後、時代が変わって、後醍醐天皇が京都五山を作ったようです。

室町幕府が成立した結果、幕府が五山制度の選定に主導権を持つようになり、さらにそれを管理監督する制度と機構が整えられたのです。

同時期に、前述の通り天龍寺が創建されます。その結果、「五山第一建長・南禅、第二円覚・天龍、第三寿福、第四建仁、第五東福、準五山浄智」という評定がなされたのでした。すでにこの時、五山なのに7寺が選ばれ、南宋のような五山は5寺という原則が崩れています。

この日本的な選定基準は、十刹、諸山も同様で、そういう名称の格付けを得た寺院は全国で300にも上るということです。また、五山に数えられる寺院は、時代の権力者との関係で変化しましたが、天龍寺は上位に位置し続けたようです。

参考文献:「禅宗の歴史」 今枝 愛真/著 吉川弘文館




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