2020年12月10日

金剛輪寺:庭園にはり出した異形の茶室がある寺院

 金剛輪寺:庭園にはみ出した異形の茶室がある寺院



今回は、滋賀県愛知郡愛荘町にある金剛輪寺を訪ねました。

金剛輪寺は「湖東三山」の1つとして有名です。まず、「湖東三山」について確認しておきます。


 龍応山西明寺 (りゅうおうざん・さいみょうじ)

 松峯山金剛輪寺 (しょうほうざん・こんごうりんじ)

 釈迦山百済寺 (しゃかさん・ひゃくさいじ)


湖東三山は室町時代(約5~600年前)、敏満寺、大覚寺と合わせて湖東五山と呼ばれていたのが、のちに2寺が衰退し、3つの寺が生き残ったので湖東三山という名称が定着したという解説がありました。しかしどうやら、1965年ころの国内観光ブームのころ、この地方のバス会社が主要な3つの寺院を湖東三山と名付けたのが始まりのようです。


松峯山金剛輪寺

創建は約1300年前で、全盛期の規模についての記述は見つけられませんでした。金剛輪寺は密教寺院で、山奥にこもって独自の信仰に傾倒する場所なので、他の2寺と比べると寺域は狭かったのではないかと思います。しかし現在の状態で比較すると、本堂は入口から500メートル近く奥まった位置にあり、現在ではその広さは一番大きいように思います。




入口からしばらくは平坦な石畳が続きますが、100メートルも進むと石段の参道になり、いつまでたっても本堂らしきものは見当たりません。脚力が心配な人には本堂の近くまで自動車で登れるようになっています。

やっとのことでたどり着いた本堂は約730年前に建設されたもので、国宝です。三重塔は約650年前のもので、大きく破損していたものを50年前に補修しており重要文化財です。本堂の中に安置されている仏像は撮影禁止ですが、参拝者は近くまで行って見学させてもらえます。間近で仏像を見る機会はそうそうないので感動します。本堂の中には案内人がいて分かりやすく歴史や見どころを教えてもらえます。




金剛輪寺本堂 (解説より)

内陣須弥壇金具に弘安11年(1288)の銘があり、この時期に完成したと推測されている。鎌倉時代にめざましく発展した密教寺院の大規模な本堂である。桁行七間、梁間七間、入母屋造りで、妻飾りは「いのこさす」を組み、内外に長押を廻し、正面には蔀戸を入れるなど、全体は伝統的な和様建築である。内部の組物の一部に、13世紀に伝来した禅宗様式の「拳鼻(こぶしばな)」がついている。密教本堂の内部は通常、外陣と内陣に区別されているが、この本堂もその通例に倣っている。外陣は、大虹梁(こうりょう)を受ける太い列柱と、格子戸、菱欄間の内外陣境結界とで構成される広い礼拝空間となっている。内陣は、天井を化粧天井とし荘厳な須弥壇を構える。流麗な曲線の檜皮葺大屋根に包含され、堂々たる偉容は近江中世本堂の圧巻ということができる。


僧坊「明寿院」

金剛輪寺と言えば、国宝の本堂と、重要文化財の三重塔がとても有名です。この寺を訪れるのであれば、それを外すわけにはいけませんが、僧坊「明寿院」の庭園も負けず劣らず見ごたえがあります。




この僧坊と庭園は、平坦な参道が折れ曲がる比較的入口から近い位置にあります。あまり宣伝されていないのは、1977年に焼失、再建された新しい建物だからでしょう。僧坊は縁側までは入ることはできますが、さらに内部に入ることはできません。

庭園は3つのエリアに分かれていて、入口に近い方は桃山時代の作庭、中央部は江戸時代初期、最深部は江戸時代末期の作庭と説明されています。




中央部の江戸時代初期の庭だと説明されているところに、茶室があります。庭と一体化していて、この茶室のための庭というより、庭に趣を添えるために追加されたのではないかと思ってしまいます。この茶室「水雲閣」は、天保年代(1830-44)に建立されたものです。茶室に合わせて作庭されたのではないかと思えるレイアウトなのですが、最深部の作庭時に修景されたのでしょう。


施設の概要

松峯山金剛輪寺

拝観料 600円
拝観時間 8:30~17:00





今回は、滋賀県愛知郡愛荘町にある金剛輪寺を訪ねました。金剛輪寺は「湖東三山」の1つとして有名です。



まず、「湖東三山」について確認しておきます。

龍応山西明寺 (りゅうおうざん・さいみょうじ)
松峯山金剛輪寺 (しょうほうざん・こんごうりんじ)
釈迦山百済寺 (しゃかさん・ひゃくさいじ)

ある解説によれば、「湖東三山」は室町時代(約5~600年前)、もう2寺、敏満寺、大覚寺と合わせて湖東五山と呼ばれていたのが、のちに2寺が衰退し、3つの寺が生き残ったので湖東三山という名称が定着したという解説がどこかでもらった資料に書かれていました。しかし、そういうことが書かれた資料は一つだけで、「湖東三山」、「湖東五山」という名称が本当に古くからあったのか疑問を持ちました。どうやら、1965年ころの国内観光ブームで、この地方のバス会社が、主要な観光地の3つの寺院を湖東三山と名付けたのが、この名称の始まりのようです。


松峯山金剛輪寺

創建は約1300年前で、全盛期の規模についての記述は見つけられませんでした。金剛輪寺は密教寺院で、山奥にこもって独自の信仰に傾倒する場所なので、他の2寺と比べると規模は小さかったのではと思います。しかし、現在の状態で比較すると、本堂は入口から500メートルも奥まった位置にあり、寺領の広さは一番大きいように思います。

入口からしばらくは平坦な石畳が続きますが、100メートルも進むとかなり急こう配の石段の参道になり、いつまでたっても本堂らしきものは見当たりません。いつたどり着けるのか不安になります。それを見越してか、脚力が心配な人には本堂の近くまで自動車で登れるようになっています。

やっとのことでたどり着いた本堂は約730年前に建設されたもので、国宝です。三重塔は約650年前のものですが、大きく破損していたものを50年前に補修しており、重要文化財です。

本堂の中に安置されている仏像は撮影禁止ですが、参拝者は近くまで行って見学させてもらえます。間近で仏像を見る機会はそうそうないので感動します。本堂の中には案内人がいて、この建物や仏像の歴史や見どころを分かりやすく教えてもらえます。


金剛輪寺本堂 (解説より)

内陣須弥壇金具に弘安11年(1288)の銘があり、この時期に完成したと推測されています。鎌倉時代にめざましく発展した密教寺院の大規模な本堂です。桁行七間、梁間七間、入母屋造りで、妻飾りは「いのこさす」を組み、内外に長押を廻し、正面には蔀戸を入れるなど、全体は伝統的な和様建築です。

内部の組物の一部に、13世紀に伝来した禅宗様式の「拳鼻(こぶしばな)」がついています。密教本堂の内部は通常、外陣と内陣に区別されていますが、この本堂もその通例に倣っています。外陣は、大虹梁(こうりょう)を受ける太い列柱と、格子戸、菱欄間の内外陣境結界とで構成される広い礼拝空間となっています。内陣は、天井を化粧天井とし荘厳な須弥壇を構えています。ともに流麗な曲線の檜皮葺大屋根に包含され、堂々たる偉容は近江中世本堂の圧巻ということができます。


僧坊「明寿院」

僧坊「明寿院」は、平坦な参道が折れ曲がる位置にあります。あまり宣伝されていないのは、1977年に焼失、再建された新しい建物だからです。縁側までは登れますが、内部に入ることはできません。

湖東三山の3寺院の僧坊はそれぞれ趣のある庭園を伴っていますが、この「明寿院庭園」はそれだけを目当てに訪問してもいいと思える素晴らしさです。庭園は3つのエリアに分かれていて、入口に近い方は桃山時代の作庭、中央部は江戸時代初期、最深部は江戸時代末期の作庭と説明されています。




中央部の江戸時代初期の庭だと説明されているところに、茶室があります。庭と一体化していて、この茶室のための庭というより、庭に趣を添えるためにつくったのではないかと思ってしまいます。茶室「水雲閣」は、天保年代(1830-44)に建立されたものです。歴史的に見れば、茶室は最終段階で追加されたものということになりますから、江戸時代末期の最深部の作庭時に茶室周りも修景されたのでしょう。



拝観料 600円
拝観時間 8:30~17:00



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